
引用元:今までにあった最大の修羅場 £65
私の中で最大の修羅場。家が家事になった。(といってもボヤだったんだけど)
私が確か小学校低学年だった時。当時住んでた家は、自営業をしていて一階が倉庫で二階が住まいだった。(店舗は徒歩数秒の場所)それでその日私は、友人と妹と三人で家の前で遊んでいた。一通り遊び終わってオヤツでも食べようとなって、外階段から玄関へ向かった。
そしてちょうど玄関前に着いたとこで、裏の家に住んでるおばちゃんが血相を変えて「ちょっと!!(私)ちゃんの家から煙出てる!火事!」と叫んだ。それを聞いても何のことかわからずドアを開けると、開けた途端もの凄い勢いで煙があふれ出てきた。そこでやっとおばちゃんの言葉を理解。
とっさに中にまだ母がいると思って、靴のまま「おかあさ~ん!!おか~!」と叫んで突入。妹号泣。この時点で友人がどうしてたか記憶にない。台所に行くと玄関以上の煙と、コンロの上にあった揚げ物用のフライパンから炎の柱!既に壁にも延焼してて私大パニック。母が明らかに居ないのに台所で母を呼びながらウロウロ。そしたら近所の人がなだれ込んできて、一斉にバケツリレーと火に確か毛布かなにかかぶせてた。
大人が来たことで「しっかりしなきゃ!」と心を奮い立たせて、とにかく父にも知らせねばと電話をとる。なぜ消防車じゃなかったのか不明。そして電話に出た父に火事の事を伝えようとしたけど、父の声を聞いた途端安心したのかなんなのか、それまで泣くのを我慢してたのが一気に号泣。「お、お、お、おかあ・・・」と言うだけで伝わらず。
しかし父は騒ぎに気付いてて、既に消防車を呼んでこちらに向かうとこだったらしい。ここからはもう覚えてないけど、母の姿を確認した後もずーっと「おかあさんが・・・おかあさんが・・」ってブツブツ泣きながら言ってた覚えがある。
火事の原因は母が天ぷらを揚げてる最中に隣に用事を思い出し、火を消したと思ったけど消えておらず、それに気がつかないで外出したためだった。それから暫くは壁が燃えた臭いが消えず、しかも私はしばらく不眠症みたいになって夜に眠れなくなった。謎なのは妹が一切この火事の事を覚えてないこと。
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それはほんとに修羅場だったね・・・もう火が怖いとかないのかな
妹さんは怖すぎて記憶から消してしまったんだろうか
あなたは子供ながら凄く頑張ったね!お母さんもエラ修羅場だったろうし
>>686
妹が覚えてないのは、解離性健忘だろ
耐えきれないほど衝撃的な記憶は
脳がロックをかけるので思い出せなくなる
記憶がなくなったわけじゃなくて、単にロックかかってるだけだから
辛い記憶を受け入れられるようになると
脳はロックを段階的に解除する
ロックされてた記憶は、まるで冷凍保存されたみたいに当時の鮮度をそのまま保ってて、
事件当時の温度や臭い、頬に感じた風まで、当時の全てをリアルに再生される
だから思い出したときは、まるで当時の事件現場に投げ込まれたような錯覚を覚えるほど
これがPTSD発症の一形態
何の準備もなしに突然思い出したら、精神病んで引きこもりになっちゃったりするから
早めに精神科連れてって、対策しとけ
今は火が怖いとかは無いです。ただ未だに揚げ物系の料理は出来ない。一度試したけど、いつ油が引火するか気になってちゃんとゴミとして出す(キッチンペーパーで油すって、牛乳パックに入れてずっと水につけてた)まで、眠れなくなったとかはあった。まあ生活には支障はない。
妹は玄関の時点で腰抜かしてたような気がする。私自身当時かなりパニック起こしてて、はっきりいうと妹がどうしてたか覚えてない。妹が覚えてないのはまだ幼稚園生だったからかな?とは思うけど、>>689さんの言うような状態だとしたら怖いな・・・。
ただ一番修羅場だったのはやっぱ母かな~。それから暫くは私たち姉妹につきっきりだったような気がするんだよね。
>>690
幼くて記憶にない場合、そういうトラウマ回避的行動はとらないもんだよ
真面目に医者連れてけ
阪神大震災のとき、何人かの精神科医が被災地に行って
ボランティアでPTSDの治療に当たってたけど
あれは発症前に治療すれば、PTSDは極軽いもので済むからだよ
発症前なら10日程度の苦痛で済むものが
発症後に始めて治療を開始すると
3年経っても家から出られないなんてこともよくある
治療は早ければ早いほどいいのは、精神医療も同じだよ