私が7歳の頃の話。父親が単身赴任で私は母親と暮らしていた。
母親は自分の事は自分で、という教育方針で幼稚園の頃から自分の靴下や下着はお風呂入った時に手洗いするとか小学校に入ってからはお米を研いでご飯を炊くというとかお風呂洗ってお湯を溜める位の家事をお手伝いの範囲内でやらされていました。
電子レンジの使い方も温める、位の事は出来ていました。そして住んでいる所が商店街を抜けた所にあったので、一人でおつかいに行くとお店のおじちゃんやおばちゃんが「あら◯子ちゃん、おつかい?えらいねー。」とおまけしてくれたりする場所に住んでいました。
ある日家に帰ると母親がおらず置き手紙がありました。その手紙には「おかあさんはおでかけしてきます。」と書かれていて、今日はどこで何を買う、明日はどこで何を買う。と指示が書かれていて単純な私はそれに従って買い物をしてやはり手紙に書いてあった通り、冷凍してあったご飯を食べていました。
それをしていたのは二日三日だと思うのですが、大人には違和感を感じたんでしょう。揚げ物屋のおばちゃんに「○子ちゃん、おかあさんは?」と聞かれ、馬鹿正直におでかけ!お留守番なの!と答えるとそのままお店に引きとめられて、おばちゃんの呼んだ近くの交番のお巡りさんとおばちゃんで家に帰り、手紙を見たお巡りさんがどこかへ電話をして、私は保護されました。
夜遅くに父親がやって来て、大泣きしながら私を抱きしめてくれたのを覚えてます。結果的に母親は失踪。母方の祖父母にも何も言わず今でも行方不明です。私はしばらく少し離れた父方の祖父母の家に預けられましたが、その後こちらに戻ってきた父親と住むようになりました。
母親に会いたいな、さみしいなと思った事もありましたがそれ以上に父親が愛情たっぷりに育ててくれ、今日私は20歳になりました。大人になるにしたがっていろいろ考えてしまいたまに内心修羅場になりますが、考えても仕方ない事はあまり考えず生きていこうと思っています。
あなたは偉い
誕生日、おめでとう!
>>220
子供が1人で、教えられたとおりに健気に家事をこなして寝起きしているところを想像してグッと来た。
ハッピーバースデートゥーユー
>>220です。ID変わってたらごめんなさい。
お誕生日おめでとうをありがとうございました!
高校卒業したあたりから色々思うところはあったのですが、大学入って色んな人と出会って母親はいなくなったけれど、周りの人に支えられて生きてこれたのは幸せな事だな、と思うようになりました。事情を知った近所の同級生のお母さん達や商店街の方、先生方が大きな事から小さい事まで気にかけてくれたおかげで今の私があると言っても過言では無いんじゃないかと思います。本当に地域に育てられたのだ、と。
母親が私に家事を教えたのは、多分間違いなく失踪する為だったと思います。思えば父親が単身赴任になった直後あたりから洗濯を教わったり、一人でお風呂に入るように言われましたし料理も教わる年齢には早いかな、と今になっては思います。火事やガス漏れの危険もあった筈なのに。
そもそも私が小さく、幼稚園から私立の付属校だった訳でも無いのに父親が国内に転勤なのに単身赴任ておかしくない?とも。今となっては真相は闇の中ですが、いない人や過ぎた事をどうのこうの言っても仕方ないので私はこの感謝を忘れずに生きて行きたいと思っています。
多分、周りの人達も貴方がそういういい娘だと分かっていて
そういう対応や世話をしてくれたんじゃないかなと思う。
周りの皆から愛されるって幸せだな。
揚げ物屋のオバちゃんGJだな こういうのが「みんなで育てる」だよ
ウチは母親が働いてて、夕食が遅くいつもひもじくて、7歳から料理を覚えたよ
目玉焼きかな最初に作ったのは
養えませんか」って胸糞悪いお知らせが届くかも
>小学校に入ってからはお米を研いでご飯を炊くというとかお風呂洗ってお湯を溜める位の家事をお手伝いの範囲内でやらされていました。
>電子レンジの使い方も温める、位の事は出来ていました。
いつかこうやって出て行く時の為にそう育てた、
とか勘ぐってしまう。
>>226
ありえない。
普通、子どもに家事教えようとしたら段階踏んで教えるもんだ。7才にガス触らせるなんてありえん。万が一火傷したらどうするんだ。いや火事を出したら。
子どもの世話するのが面倒だから自分でやらせていただけだろう。
>>230
子供にお手伝いとはいえ実用的になるまで教え込むのは大変なことだから、やりたくなかったからだけとは考えられないな